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訃報 どうして2012.02.13 Monday
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いつも私を支えてくれる大好きな友人から、今朝早く連絡があり、
最愛の弟さんが、突然の病気で亡くなったそうです。
彼女とは昨日会って、
健康の大事さを、2人でたくさんお喋りしたばかりだったのに・・・
自分より若い家族を見送る事になるとは、
彼女の気持ちを察すると胸が痛いです。
弟さんの最後の旅路が穏やかになるよう、お祈りしています。
ラジオでは、先ほどホイットニーヒューストンの訃報も流れて
とても驚き、悲しみが続きました。
バーブラストライザンドとホイットニーが、私の最も好きなアーティスト。
またあるだろうと、どうして来日コンサートに行かなかったんだろう。
会える時に、どうして会わなかったんだろう・・・
弟さんもホイットニーも、まだ2人とも、旅立つには若過ぎる。
どうして“死”は、突然訪れ、奪い去ってしまうのだろう。
もしその“時”がきたら、悲しみに立ち向かえる力が、私にはあるのだろうか。
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星になった彼女2008.06.23 Monday
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静かに、静かに、
彼女は送られていきました。
今頃は、宇宙(そら)に自分の居場所を見つけ、
穏やかに過ごして居る事でしょう。
私達が忘れない限り、彼女はそのままの彼女でいます。
彼女の存在を認め、才能を尊び、確認し合った仲間ですから。
これからは、活躍の場を天空に移し、
永遠に輝いていく事でしょう。
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児童劇団の黒江先生2008.01.17 Thursday
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黒江先生は、私が発声や活舌を初めて教わったNHK児童劇団で
一番可愛がってくれた、大好きな先生でした。
父の転勤の関係で、小学5年〜中学2年の夏休みまでと、少しの間しか通えなかったけれど、毎週渋谷のNHKに通うのが嬉しくて嬉しくて、ほとんどサボらなかったので
黒江先生に「礼子はいつもニコニコ劇団に通って、偉いなあ。」と褒められたのを覚えています。
劇団では2年に1度の夏、勉強会と称して、舞台を踏ませてくれるのですが、
私がやめる最後の夏のキャスティングの時、黒江先生に呼び出されました。その内容は・・・「最後の舞台だから、もし夏休みのお稽古に、1日も休まず参加出来るのなら、カワウソの役(大きないい役)を考えてもいいと思うのだがどうかね?」
今思うと、あれは黒江先生が先生方のキャスティング会議の時、
中学2年の私を「頑張った最後の記念に。」と無理やり推薦してくれたのではなかった
でしょうか・・・
でもその時の私は、芝居は大好きでしたが、転校する港中学の友達とも別れが惜しかったので「林間学校にはどうしても参加したい。」と言い、カワウソの話は無くなりました。
アンサンブルの一人として一生懸命参加し、最後の舞台をやり遂げ、
私はNHK児童劇団を辞めていきました。
黒江先生とちゃんと話したのはそれっきりです。
その後、早々に辞めた私にも、OGとしての連絡をくれるようになった仲間が出来、
近年の劇団の勉強会を観に行く機会がありました。
黒江先生と、何十年ぶりかの再会・・・
何百人という子供達を指導したにも関わらず、もちろん先生は覚えていてくださり、
抱き合って喜んだのが4,5年前です。
その、黒江先生が、一昨日亡くなったそうです・・・
今、これを書きながら、とても悲しくなってしまいました。
でも私は舞台の稽古中なので、お葬式には行けません。
黒江先生に教わった基本を身に備え、心を込めて、これからも芝居をしていく事が
私なりの供養だと思って頑張ります。
黒江先生、ありがとうございました。
いつか私が良いお芝居を出来たら、耳元でまた、褒めて下さいね。
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お葬式での出来事2007.08.01 Wednesday
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昨日は群馬県へ、姉の旦那さんのお父さんのお葬式に行った。
姉の義父さんだから、私のお義父さん。
本当の立場は、そう呼ばないのかも知れないけど、
親戚が増えるのが嬉しかった私は、姉が結婚した時から、そう呼ばせて貰っていた。
お義父さんは人間嫌いで頑固。
自分の一人っきりの息子へも、結局最後まで、
やさしく上手く接する事が出来なかったらしい。
早々に家を出た息子が、大人になって出会ったのが私の姉。
東京に建てた夫婦の家には、1度も遊びに来てくれる事はなかった。
葬儀はお義父さんの希望で、小さく小さく行われた。
私は甥っ子をあやす為、遠巻きに参列していた。
式は厳かに静かに進み、いざ出棺、と言う時に・・・
なんと、火葬場から
「故障したのでそのままお待ちください。」と連絡が入ったのだ!
???!!!
みんなびっくりすると同時に、クスクスと笑い出した!
あのお義父さんが、最後の最後に、参列した人達ともう少し一緒に居たいと言ってるんだ、と、みんなで思ったからだ!
それから4時間、私達は和やかに過ごした。
窓の開いたお棺を覗いて、語りかける時間も出来た。
お花に囲まれたお義父さんの顔は、とても満足そうに見えた。
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さようなら、セサミプレイス2006.12.29 Friday
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2006年12月31日で、16年間続いたここ、セサミプレイスが閉園する。
思わず今日駆けつけてしまった。
私が強くセサミを意識したのは、ほんの1年半前。
短い間に、こんなにキャラクターをいとおしく思う事になろうとは、想像していなかった。
それはセサミに関わった、全ての人達の愛情に比例する。
特に、イベントにおいて、アメリカと日本の橋渡し役として多大な貢献をしてきたI氏。
オーディションに始まり、セサミプレイスでの学習、ロスやミネアポリスの稽古同行、
アメリカ人キャストやスタッフや私の本番中のケア、その後の多方面での繋ぎ、
そして最後のプレイス訪問のフォローなど、セサミに関する全ての事は、
その人無しでは考えられなかった。
セサミサイドは、素晴らしい日本スタッフを抱えたものだ。
その人が16年間見守り続けてきたセサミプレイスの閉園。
心情を思っても、計り知れない。
やさしい人だから、きっと泣いてしまうのではないだろうか。
プレイスは無くなっても、キャラクターが日本の人々に愛され続ける限り、あなたはセサミに必要な人材です!
これからも持ち前の誠実さと愛情で、セサミを盛り上げていって下さい。
本当に、本当に、お疲れ様でした。
そしてセサミプレイス。日本の子供たちに、体を使って仲良く遊ぶ楽しさを教えてくれて、心からありがとうございました。
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